サイテイナボク

わたしという人格の設定資料集

降参します

戦わないことを決めた。
それがナイフを捨てるということの本当の所だ。
嫌いなものに嫌いと言って自分の首を切り落とすのはやめましょう。
大谷選手的やめましょう構文、便利である。
自己主張をやめましょう。
自分らしさの呪縛を死ぬまで赦さず離さず引き摺り続くという「カッコイー」覚悟を捨て去りましょう
自分のファントムさえ生きるために捨てましょう
それがKAMIKAZE的カッコ良さBUSHIDO的潔さを伴わない生き恥と呼ばれる生にしがみつく無様さと呼ばれても
他人の言葉で喋るのをやめまやめることにしたんだ
呼びかけじゃないタツムリじゃ他人にわからない自分の脳内陶酔語り口調をやめましやめることにするんだ、いや、したんだ、いややめた

わたしはもうたたかわない
日常のひどい体験
過去のありえない仕打ち
未来の絶望的な抑圧と監視
現実と思想の摩擦
文字と数値の羅列
人気と集団の力
何とも戦わない

女とか、男とか
そういうこととも戦わない

国とか、未来とか
そういうことのために戦わない

自分のためか?
ある意味そうだ

コウモリが信用ならないとするならば、仲間はずれのボクらはどこへいけばいいのか、おしえてくれないか

世界が公正であると期待するのは昨日やめたことだ
もともとは、きっとはじめは、子供の頃は、そうであることを、期待していたんだ
どこかにうっすらとその期待がまだ残っていたからこそ、世界の実態に狼狽えて苦しんでしまっていた
一部仏教的な気づきから、これを排除する
いや、排泄する
廃棄する
わたしは、この世界が不正が基本なものであるという基準を、基本を、基礎を、設定する
新築したそのデフォルトは、たしかに、うまく働きそうにみえる

世界は悪で満ちているなどと呼ぶことをやめる
何故ならそんなことは当たり前のことであり、いうまでもないことであり、それが普通で平常だからだ
あたりまえで基準であることを問題としてもどうしようもない
つまり普通と戦うこともやめるということだ
自分の中の不愉快、そして権利を振りかざすのをやめるということだ

わたしは降参した
これで満足か、と、反抗心をちらつかせることももうしない、意図的に抑制し、それを継続すればやがては、牙は完全に削り落とされるだろう

わたしはもう戦わない

自分の不愉快と向き合わないし、ある意味では向き合う
自分の不愉快を放出しないし、飼い殺しにもしない、のたうちまわって、苦しいからなんだというのだ

死後についての思想とも戦わない
常識とも

わたしは降参した

他人とも戦わない
何とも戦わないんだ
ナイフを手放すということはつまり………

 

これで何かが変わるわけじゃないことは、知っているんだ
でももう疲れてしまったから、辞めるんだ
降参です
ありがとうございました
さようなら

 

良いお年を。