サイテイナボク

わたしという人格の設定資料集

あたたかみとかいう括り方をする恵まれさんのやり口には閉口する

閉口するので指を動かし、この文字列を手動生成する。

 

米津玄師がまだハチだったころ、彼の自称りマウス戦士」の絵をわたしは愛している。

 

それをあたかかみとは呼ばないし、そのように、それに類似するふうに捉えたこともない。

 

ただ「アレはアレで良い」というだけ。

 

それを雑に「あたたかみ」という分類をしたがる阿呆は、アリストテレスにでもなったつもりなのかね?

ミドルネームに「ブンルイスキー」とかどうよ、おすすめするよ、マジで。

 

えっと、まあマウス戦士時代を知りもしない現「米民」のように、本質を鑑みないミーハー連中にとっては、なるほど目の前に見える利益のことだけどうにか記述できればそれで十分なのだろうね、といえ気はします。ハイ。

 

苛立ちがある。

持論で以て他者を断罪する愚行に対してだ。

それを言えばわたしも同じ穴の狢だらうか。

狢の画像でも検索してカワヨカワEと落ち着こうか。

 

無理やり包むための雑なやり方は本当に愚かしいからやめた方がいいよ、これは自戒でもあるんだけれどね。

 

自分の正しさに酔うことは気持ちがいいからな。いわんや他人を容易く攻撃してしまえるネットにおいてをや。そういうところを、そういうすぐナイフを持って振り回す癖を、直さなきゃアカンのちゃいまっか?

 

もうお互いにさ、何も言わずに日々に沈もうぜ。自己顕示欲とか宗教的理由とか役割とか政治とか世論調整とか全部どうでも良いよ。

 

あなたもわたしもただの泡なんだ。大好きで大嫌いな仏教で教わらなかったかい?あと、ただものを知ってるのは偉いのかい?

 

ハハハハハは、気に入らないな。気に入らない。気に入らない同士またナイフで戦うのかい?不毛だね。死ぬまでやるのかい?不毛だ。

 

やめよう。ネットは市民には過ぎたものであった。感想や心理や主張をするための場では無いとしてみよう。増してお気持ち表明の自由帳でもなければ説得や遊説の為のスピーカーでも無い。

 

ではなんのためか?

 

ラブアンドピース、愛だよ愛。もうなにも否定するな。自分の感じたことなど書くな。他人を洗脳するための文章を拵えるな。

 

まともになれ。人間になれ。集団を抜けろ。正しくなれ。適切になれ。罪悪感を抱け。思い悩め。自分は間違ってると思え。

 

きっと何を言っても、書いても、無駄なのだろうけれど。

 

また繰り返す。

化け物ばかり。

嘘つきばかり。

 

この世は不適切。

世界はわたしに嫌がらせばかりする

世界はわたしに嫌がらせばかりする

 

好きなゲームがリメイクされるのが嫌

 

ものすごく好きだったゲームがある。

兄が買ってもらったゲーム、スーパーマリオRPGとか。

買ってもらえたり、自分で買えたりこそはしなかったものの(お小遣いはなかったから)憧れたゲームのペルソナ3とか。

そういうのがどんどんリメイクされていく。

それが凄く嫌だなと思う。

 

今の人とは分かり合えない

 

今の人とは分かり合えないし、わかり合いたいとも、分かり合えるとも思っていない。

そもそも昔の人とも分かり合えないし分かり合えるとも思ってないけれど。

そんな今の人に作品が穢される。

わたしはその様に感じる。

から、嫌なのか?

自分でも整理はついていない、というか、整理なんか、つけたくない。

自分の気持ちを自分が100%整理把握してるというような意識高い系みたいな人間にはなりたくない。

でもまあ、もう少し、掘ってみようか。

 

わたしの好きを好きになるな

 

めちゃくちゃわがまま。

そりゃ知ったこっちゃないって、他人だったらいうだろう。

でも本質はこうなんじゃないかな?

 

米津玄師やピノキオピーが有名になるほどにチクチクと痛むのも同じこと。

わたしが16年や17年に鯖缶やらオートミールやらミューズリーにはまっていた数年後にそれらが流行った時もなんだか嫌だった。

Lo-Fi Hiphopやポストロックもそう。わたしがハマってた18年のあと、22年あたりからなんか表世界で出くわすことが増えたなって。

投資に目をつけていた19年、今ごろ投資が流行ってるらしい。

読書にはもう中学の頃から目をつけていたさ!

なんて、これは冗談だよ、実際十分レイトアクセスだし、そんなもん開かれたものなんだから。

 

そしてこの心が、他者からすれば厄介極まりないシロモノであろうということは、推測することが容易。

ゆえ、実世界でのべつまくなしに喚き散らしたりはしないけれど。

その代わりにこういうところに不愉快を刻む。

なすりつける。

Noteはダメ。あれはヤバい。

 

タイトル言い過ぎじゃね?

 

生まれた家の父親がDV浮気クソ野郎でちょっとしたことでキレ散らかして子供を殴る蹴る罵る投げ飛ばす馬鹿野郎だったこと。

 

幼稚園生の頃から中学に上がるまでのおよそ78年にわたって兄から児童淫行を受け口淫の強要などがあったこと。

 

物心ついた頃から兄も姉もわたしを事あるごとにぶち、嘲り、罵り、蹴り、物を投げ、階段から落とし、枕を顔に押し当て、エアガンで撃ったこと。

 

父が家に十分な金を入れないので父の年収的には不要なのにも拘らず母がパートをしなくてはならなくなり小一の頃から家には一人。

 

誰も話を聞いてはくれない。父も兄も姉も、時に母すらも、ちょっと間違えた発言や振る舞いをしてしまえばすぐに凶暴に暴力を振るった。

 

わたしの人生に救いはない。

 

世界に嫌われている。

生まれた時からきっとそうだった。

 

同じ様な経験もしていない人が言う。

 

「五体満足なだけマシ」

「中東やアフリカの紛争地よりマシ」

 

自身が経験してない不幸を軽んじることは簡単であり、なによりどうやら日本人は自己責任論が大好きな他人事主義らしいので、これは仕方がない事なんだ。

 

そう全部、仕方がない事だったんだ。

 

わたしの大事なものは踏み躙られ、わたしの宝は盗まれ汚される。

 

世界は金持ちのためにあり、何もかもが不平等であって、多くのことは公正ではなく、不正をしなければこの世は渡れないらしい痛いほど思い知ってきた。

 

狡い奴ら、悪どい奴ら、暴力はその大半が裁かれない。平和な人たちは他人事。「俺は嫌な思いしてないから知らない」。「籤運の悪いものは死ねば良い」。結構結構、それが日本人だもんな。ガイジンもそうかもしれないし。

 

どうしたいの?

 

言わな、書かないよ。

 

意識高い系だから、よくよくよくよくよくよくよくよくよく、わかってるけれどね、自分がどうしたいかなんて、100%。アレ?

 

読んだの?

 

ハイ、どこかの誰かさん。あなたが一般人である事を願う。この世にはいくつものレイヤーがあり、別のレイヤーの人間の発言はさぞ狂人の妄言とうつるのでしょうね。けれどね、そのレイヤー上は確実に存在する事実なんだ。なんのことって?あなたが一般人じゃなかったら、わかってるくせに。あなたがもし一般人なら、どういう経緯でここに辿り着いたのか知らないが、何も得るものがないような記事を最後まで読んでくれたことを感謝する。ありがとう。じゃあね。

 

ペルソナ3 リロード 2024/2/2発売

 

やだなー。やだなーー。やーだーなーーー。はぁ。

ほんと、都合が悪い。

世界はわたしにとって都合が悪い方向にしか変わっていかない。

これを他者共は老害と呼ぶのだろう。

知ったことか。

そちらさんが延々他人事をやってきたように、わたしもそちらに対して他人事を行使する。

わたしは不愉快である。

リメイクなんかすんなよむかつくぜ!

なんてな。

 

あーあ。

しにたくはないけど、この世界にいたくはないんだよね。

別に世界があったら良いのにね?

誰もいなくても良いよ。

カミノコトバの主人公じゃないけど、わたしはきっと、ほっとする。

降参します

戦わないことを決めた。
それがナイフを捨てるということの本当の所だ。
嫌いなものに嫌いと言って自分の首を切り落とすのはやめましょう。
大谷選手的やめましょう構文、便利である。
自己主張をやめましょう。
自分らしさの呪縛を死ぬまで赦さず離さず引き摺り続くという「カッコイー」覚悟を捨て去りましょう
自分のファントムさえ生きるために捨てましょう
それがKAMIKAZE的カッコ良さBUSHIDO的潔さを伴わない生き恥と呼ばれる生にしがみつく無様さと呼ばれても
他人の言葉で喋るのをやめまやめることにしたんだ
呼びかけじゃないタツムリじゃ他人にわからない自分の脳内陶酔語り口調をやめましやめることにするんだ、いや、したんだ、いややめた

わたしはもうたたかわない
日常のひどい体験
過去のありえない仕打ち
未来の絶望的な抑圧と監視
現実と思想の摩擦
文字と数値の羅列
人気と集団の力
何とも戦わない

女とか、男とか
そういうこととも戦わない

国とか、未来とか
そういうことのために戦わない

自分のためか?
ある意味そうだ

コウモリが信用ならないとするならば、仲間はずれのボクらはどこへいけばいいのか、おしえてくれないか

世界が公正であると期待するのは昨日やめたことだ
もともとは、きっとはじめは、子供の頃は、そうであることを、期待していたんだ
どこかにうっすらとその期待がまだ残っていたからこそ、世界の実態に狼狽えて苦しんでしまっていた
一部仏教的な気づきから、これを排除する
いや、排泄する
廃棄する
わたしは、この世界が不正が基本なものであるという基準を、基本を、基礎を、設定する
新築したそのデフォルトは、たしかに、うまく働きそうにみえる

世界は悪で満ちているなどと呼ぶことをやめる
何故ならそんなことは当たり前のことであり、いうまでもないことであり、それが普通で平常だからだ
あたりまえで基準であることを問題としてもどうしようもない
つまり普通と戦うこともやめるということだ
自分の中の不愉快、そして権利を振りかざすのをやめるということだ

わたしは降参した
これで満足か、と、反抗心をちらつかせることももうしない、意図的に抑制し、それを継続すればやがては、牙は完全に削り落とされるだろう

わたしはもう戦わない

自分の不愉快と向き合わないし、ある意味では向き合う
自分の不愉快を放出しないし、飼い殺しにもしない、のたうちまわって、苦しいからなんだというのだ

死後についての思想とも戦わない
常識とも

わたしは降参した

他人とも戦わない
何とも戦わないんだ
ナイフを手放すということはつまり………

 

これで何かが変わるわけじゃないことは、知っているんだ
でももう疲れてしまったから、辞めるんだ
降参です
ありがとうございました
さようなら

 

良いお年を。

集団力 組織力 現実力 紹介力 工作力 生まれ力 環境力

わたしは「結局〜が全てである」という言い回しを大層気にいっており、まるでスナック菓子をついつい摘むかのように出癖でそれを使用してしまうから、この記事のタイトルも当初は「結局集団がすべてである」にしようかと思った、というのは半分嘘だ。嘘かい。すまない。読者の読解の途中ェー梯子を外すのがマイブームなのだ。そもそも読んでいる人いないと思うけど(スキ不信病)

いい加減スキの通知を切るかと画策しているのだが、まだそうしていなかったから、スキしたアカウントが工作スキ数持ちのコピペエセ陰謀論者であるか(そういアカウントが10個くらいあるんすよ、旦那)であるかどうかだけ興味本位で確認しに行ってしまうので、わたしが一個前にあるげた「自分の記事を読ませる為にスキしてるよね」という指摘が真だとしてその思惑通りに動いてしまっている癪があるってこんな風に一文をとにかく読みづらくながったらしく色々とゴテゴテと蛇足を付け加えて過剰装飾してしていくのはマイブームや手癖すら超えて最早そういう文体ならぬ生態である。
なるぬの使い方といい、最初のスナックの例えといい、微妙な「下等な」文章が続くって?
いやいやこれは文字列ですぜ旦那、文章なんてそんな、お高く泊まったもんじゃないんでやんすよ、ばかいっちゃいけねえ。

で。

前途の工作スキ数持ちエセ陰謀者にせよ真陰謀論者が語るところの集団ストーカーの実行実態としての某宗教団体にせよ今さっきスキしてきたポイ活アカウントにせよ、結局数の力が全てだよなぁと、感じる。

ポイ活で紹介者に500円とかもらえるとして、200人に紹介できたら5万貰えるし、懐かしのuberの一紹介2万とか3万とか貰えてた時代なら、10人紹介で20〜30万、100人紹介で、200〜300万貰えるわけですから、知り合いが多くて紹介力の強い人間は稼ぎやすい世界なんだなぁと。

なにもこれはそういうポイ活とか紹介得点だけに限った話ではない。

YouTuberを始めた時とか作曲にせよ漫画にせよ、動員協力を依頼できる知り合い、横のつながりがあればあるほどスタートダッシュが有利になるし、売上も立ちやすい。
500円の商品を友達10人が買ってくれたら5000円それだけで儲かるのだから、その商品の本来の人気が0でも金は得やすい。
それに10人が購入しましたとかそういう情報はどこの販売サイトで何を売っても最近は表示されたりするから、「まあまあ人気あるのんかしら」と赤の他人に誤認させる影響も発生する。
数字が0やら1やらのポット出の存在のハツ購入者やらになるのは勇気がいり抵抗があるが、10とか20とか、数字が少しでもついていたら「それなりにいいのかしら」と思わせる数字の魔力がある。

例えば数百万人の所属を誇る宗教団体が横の繋がりとその権力資金力で人気を作ろうと思えば、チャンネル登録者数100万人とかだって実現可能なのだし、「100万人登録されてるから人気なんだ!」と純粋な一般人を騙しやすくもある。
100万人動員したり、それ以下の数でスク数アカウント取得にとって工作するまでの大規模な行為は稀である可能性がまだあるが、1万人程度であれば日常的に行われていても不思議ではない。

件の工作スキ数持ちコピペエセ陰謀論者アカウントも、その投稿に300〜500程度のスキを工作でおしなべてつけておくことであたかも信憑性があるように演出することができる。

そもそもそういう横の繋がりや工作力がある状態というのは色々なことがうまく行きやすいんだ。
何か困ったことがあったら力になってもらえる可能性があるし外力によってしか解決が御難とされるような貧困の悪循環のような状態にも陥りづらい。

メディアや携帯通信会社などに入社する身内の人間の協力によって世論を操作することも容易だし、それをネットで主張しても「そんなことあるわけねーだろ」と「いち匿名アカウント」ないし「いち一般人アカウント」になりすまして反論して封殺することも容易だ。

そして身内である有名人アカウントに鶴の一声的にその反論を支持して貰えばいい。

このムーブをあらゆる業態、分野でやっていくとすると、見事にその「身内」しか勝ち上がれない工作された場を社会中に張り巡らせつつも、あたかも現実には適正で公正な審査があり自然な流れしかないとみせかけることが可能だ。

そうして社会には作られた流行りと偽物の人気が蔓延する。
これは成熟したシーンほどその餌食になっていく。

まだ黎明のシーンは目をつけられていないうちは自由市場であるのだが、それも目をつけられたが最後即座にその界隈を支配してしまうことが可能だろう。

これは日本人の「"みなさんそうしてますよ"についていく性質」名付けるなら「みんなと同じ病」とも呼ぼうか、その性質相手には非常に相性がいい方策であるといえる。

こういうことを主張するアカウントは異常者で一般常識が正しいという洗脳を強化すればするほどに人々は疑いの目を失います盲目的に与えられた人気と流行りを貪るだけのぼんやり口を開け涎を垂らすような阿呆の傀儡と化す。

もしその「身内」と政治家が繋がっていたら悪夢だ。
その流れは変えることはできないだろう。
そこに「仮想敵国」まで繋がっていると余計に厄介。
「民族に恨みを持つ在国静的侵略者」がおり、その国の者の名前を騙っていれば余計に「真実」の判別は不可能になっていく。

前途のように集団力があれば簡単に金を稼げるし金を稼ぐ手法の種類も豊富故、多業種に展開しやすく、内外から各業界をその組織力で牛耳ることができる。

ネットde有名人だけでなく、いやそういうものも含めて、現実の世界で強い横の繋がり、相互援助の恩恵に預かれる言うなれば現実力の強さは現実世界での人気や採用なども左右できる。

仮想敵国のにっくき民族をいじめによって自殺に追い込んだり不登校にしたり一人一人着々と脱落させてその人生を毀損しその生涯的な経済力や影響力を限定的なものに縮小させることができる。
それを子供たちにやらせるばかりか現場を受け持つ教師やその団体、政策を作る政治家とも談合して行えばより効率的だろう。
その国の文化や教育をゆっくりと着実に滅茶苦茶にしていくことができる。

そうしてそういう危機感を持った人間は全て「ネトウヨ」「統合失調症」だとしてしまえば「普通・正常・一般的であることに異常な執着を見せる日本人」の思想をそちらに誘導するのは容易い。
挙句は言葉尻、重箱の隅を突いて「〜な時点で発言の信憑性は低い」と本質的ではない些事を取り上げて信憑性を貶めることもできる。

その国の本来の民族を、隙があるものに関しては虐めなどによって落伍させ、隙がないものは女性の流行りとそれに追従する男どもという性質を利用した文化侵略などによって染め上げていくことが可能だ。
なんなら「〜人の彼氏は優しい」という情報を在国仮想敵国者の女にその国の人間のフリをささてまことしやかに語らせれば噂として蔓延し、仮想敵国の男性が自国のでの女性との不和もあってその国に流れてくる流れも作り出せば、血統的に侵略していくことも可能だ。
血統そのものはそれほどまでの問題ではないが、子供にとって親の思想や教育、スタンスの影響は絶大なので、親が仮想敵国を持ち上げその国を下げる態度をとっていれば子供はそれに洗脳されていくので、思想を菌略していくことができるのである。

暴力団などにも関与して歓楽街に潜り込み、その国の女性を風俗落ちさせるというメソッドの強化と実行に邁進するのも一つ成果の上がる破壊工作となるだろう。

とにかく集団の力があれば想像以上に多くのことが可能であり、それが国民の10%を占めていたりしたら、殆どなんでも思いのままだろう。

その「身内」だけがいい汁を吸う社会が出来上がっていれば、その「身内」として生まれるだけで成功が約束されるのだから、いやはやうまれというものは強烈で、生まれ力と呼びたくなるくじ運の良さであるといえるな。

その後の環境だって好ましいわけだから環境力もある。

力ばっかり!もう無敵やん!うはー最強やー。

まあほんとはそんな言葉はどうでもよくてね、ただそれでもここに書いたいくつかの事はもう実際に起こったことだからね。
携帯電話会社に入社した身内に支持して個人の通話履歴を盗んだりできるけですからね。
そうやって一部を明るみに出すことで「ちゃんと不正や問題は明るみに出て対処され世の中は回っている」と思わせることができる。

世の中なんて不正しかないのに、新規で「身内」じゃないものがみんなやってる不正(その不正をしないとその国では勝てない)をしたら途端に警察が動いて捕まるなど。
既得権益はいつだって強者であるからその発言は支持されやすく、支持されずとも支持されるように誘導したり見せかける強制力がある。
そして数千万単位で献金したり動員したりしまくって世の中を滅茶苦茶にしつつ私服を肥やすことができるんだから、笑いが止まらないだろうねぇ。

「身内」であることは学校や所属企業などには依らないので、医師や弁護士や警察やら探偵やら、いろんなところに入り込むことが可能で、そこから更に真実を報道しようとした記者を殺してね。そんなドラマみたいなって思うなら、現実なんだよなぁと。
実際記者の不審死とかありふれているのよ。
敢えて書かないけどいくつかの実際の事件を思い出しながら書いてるよ。
調べればすぐわかる。

調べなければわからないんだ。
向こうからやってくるタイプの押し付けがましいメディアはすべて身内、既得権益側についているからな。
そして認知閾を叩き落として無駄な困惑や思考をさせることだけを目的とした国会中継ショーやニュース風バラエティ番組の数々で国民を混乱に誘導する!
果ては若い子を繁華街に集わせる流行りを発生させて若い世代から性的に食い物にするまでしている。
そして既得権益の金持ちが立ちんぼを買っているからこそ、政府は真面目に対応しないし、一般に知られてから何年もほとんど放置されてきた。

誰も何も真面目にやるつもりがない。
いつも意図を持って流される情報で本当のところは覆い隠されて社会は公正で平和であると演出し、安心した愚者たちがうかうかと日常生活を送っているうちに(送らざるを得ない)益々社会を毀損、破壊していく。

この流れは止まらないし誰にもどうすることもできない。
その国の人口の10%にも登るだけの組織力を他にもっているところがないし、馬鹿正直に本当のところを暴露したりなんかしないからね。
あの手この手で見えない角度から社会を、そこに住まう人を、馬鹿にして、貶めることに余念がない。

社会は悪意でできている。
ただの集金装置が国を脅かすべきでは当然ないのだが…こんな状況になったのは、誰のせいなんだろうね?
誰かの差金かな?
誰の?
左かなぁ、右かなぁ、両方かなぁ。

どこまでがショーで、どこまでがほんとなの?
誰も本当の真実を知らない。

みたいなね。

で、
集団が結局全てを掻っ攫うので、個人の時代なんてもうとっくに終わってて、今から身内じゃない個人が報われることはないよ。
で、身内なのにあるいは雇われた役者なのに、身内じゃないふりして「私一般人だけどその限りじゃないです」って反証させときゃOKなんだから、やすいもんだよね。

宝くじにあたった身内を用意することで「当たる人ちゃんといるんだ」と一般人に思わせて宝くじという集金装置の一つを機能させ続けることに成功しているし、そんな感じでいろんなところから金を巻き上げるシステムが出来上がっているから、一般人たちがどうこうできる世界でもないし。

いやぁ集団力ってすごいね。
わたしもできればそっちに行きたかったけどねェ。

集団力 組織力 現実力 紹介力 工作力 生まれ力 環境力

わたしは「結局〜が全てである」という言い回しを大層気にいっており、まるでスナック菓子をついつい摘むかのように出癖でそれを使用してしまうから、この記事のタイトルも当初は「結局集団がすべてである」にしようかと思った、というのは半分嘘だ。嘘かい。すまない。読者の読解の途中ェー梯子を外すのがマイブームなのだ。そもそも読んでいる人いないと思うけど(スキ不信病)

いい加減スキの通知を切るかと画策しているのだが、まだそうしていなかったから、スキしたアカウントが工作スキ数持ちのコピペエセ陰謀論者であるか(そういアカウントが10個くらいあるんすよ、旦那)であるかどうかだけ興味本位で確認しに行ってしまうので、わたしが一個前にあるげた「自分の記事を読ませる為にスキしてるよね」という指摘が真だとしてその思惑通りに動いてしまっている癪があるってこんな風に一文をとにかく読みづらくながったらしく色々とゴテゴテと蛇足を付け加えて過剰装飾してしていくのはマイブームや手癖すら超えて最早そういう文体ならぬ生態である。
なるぬの使い方といい、最初のスナックの例えといい、微妙な「下等な」文章が続くって?
いやいやこれは文字列ですぜ旦那、文章なんてそんな、お高く泊まったもんじゃないんでやんすよ、ばかいっちゃいけねえ。

で。

前途の工作スキ数持ちエセ陰謀者にせよ真陰謀論者が語るところの集団ストーカーの実行実態としての某宗教団体にせよ今さっきスキしてきたポイ活アカウントにせよ、結局数の力が全てだよなぁと、感じる。

ポイ活で紹介者に500円とかもらえるとして、200人に紹介できたら5万貰えるし、懐かしのuberの一紹介2万とか3万とか貰えてた時代なら、10人紹介で20〜30万、100人紹介で、200〜300万貰えるわけですから、知り合いが多くて紹介力の強い人間は稼ぎやすい世界なんだなぁと。

なにもこれはそういうポイ活とか紹介得点だけに限った話ではない。

YouTuberを始めた時とか作曲にせよ漫画にせよ、動員協力を依頼できる知り合い、横のつながりがあればあるほどスタートダッシュが有利になるし、売上も立ちやすい。
500円の商品を友達10人が買ってくれたら5000円それだけで儲かるのだから、その商品の本来の人気が0でも金は得やすい。
それに10人が購入しましたとかそういう情報はどこの販売サイトで何を売っても最近は表示されたりするから、「まあまあ人気あるのんかしら」と赤の他人に誤認させる影響も発生する。
数字が0やら1やらのポット出の存在のハツ購入者やらになるのは勇気がいり抵抗があるが、10とか20とか、数字が少しでもついていたら「それなりにいいのかしら」と思わせる数字の魔力がある。

例えば数百万人の所属を誇る宗教団体が横の繋がりとその権力資金力で人気を作ろうと思えば、チャンネル登録者数100万人とかだって実現可能なのだし、「100万人登録されてるから人気なんだ!」と純粋な一般人を騙しやすくもある。
100万人動員したり、それ以下の数でスク数アカウント取得にとって工作するまでの大規模な行為は稀である可能性がまだあるが、1万人程度であれば日常的に行われていても不思議ではない。

件の工作スキ数持ちコピペエセ陰謀論者アカウントも、その投稿に300〜500程度のスキを工作でおしなべてつけておくことであたかも信憑性があるように演出することができる。

そもそもそういう横の繋がりや工作力がある状態というのは色々なことがうまく行きやすいんだ。
何か困ったことがあったら力になってもらえる可能性があるし外力によってしか解決が御難とされるような貧困の悪循環のような状態にも陥りづらい。

メディアや携帯通信会社などに入社する身内の人間の協力によって世論を操作することも容易だし、それをネットで主張しても「そんなことあるわけねーだろ」と「いち匿名アカウント」ないし「いち一般人アカウント」になりすまして反論して封殺することも容易だ。

そして身内である有名人アカウントに鶴の一声的にその反論を支持して貰えばいい。

このムーブをあらゆる業態、分野でやっていくとすると、見事にその「身内」しか勝ち上がれない工作された場を社会中に張り巡らせつつも、あたかも現実には適正で公正な審査があり自然な流れしかないとみせかけることが可能だ。

そうして社会には作られた流行りと偽物の人気が蔓延する。
これは成熟したシーンほどその餌食になっていく。

まだ黎明のシーンは目をつけられていないうちは自由市場であるのだが、それも目をつけられたが最後即座にその界隈を支配してしまうことが可能だろう。

これは日本人の「"みなさんそうしてますよ"についていく性質」名付けるなら「みんなと同じ病」とも呼ぼうか、その性質相手には非常に相性がいい方策であるといえる。

こういうことを主張するアカウントは異常者で一般常識が正しいという洗脳を強化すればするほどに人々は疑いの目を失います盲目的に与えられた人気と流行りを貪るだけのぼんやり口を開け涎を垂らすような阿呆の傀儡と化す。

もしその「身内」と政治家が繋がっていたら悪夢だ。
その流れは変えることはできないだろう。
そこに「仮想敵国」まで繋がっていると余計に厄介。
「民族に恨みを持つ在国静的侵略者」がおり、その国の者の名前を騙っていれば余計に「真実」の判別は不可能になっていく。

前途のように集団力があれば簡単に金を稼げるし金を稼ぐ手法の種類も豊富故、多業種に展開しやすく、内外から各業界をその組織力で牛耳ることができる。

ネットde有名人だけでなく、いやそういうものも含めて、現実の世界で強い横の繋がり、相互援助の恩恵に預かれる言うなれば現実力の強さは現実世界での人気や採用なども左右できる。

仮想敵国のにっくき民族をいじめによって自殺に追い込んだり不登校にしたり一人一人着々と脱落させてその人生を毀損しその生涯的な経済力や影響力を限定的なものに縮小させることができる。
それを子供たちにやらせるばかりか現場を受け持つ教師やその団体、政策を作る政治家とも談合して行えばより効率的だろう。
その国の文化や教育をゆっくりと着実に滅茶苦茶にしていくことができる。

そうしてそういう危機感を持った人間は全て「ネトウヨ」「統合失調症」だとしてしまえば「普通・正常・一般的であることに異常な執着を見せる日本人」の思想をそちらに誘導するのは容易い。
挙句は言葉尻、重箱の隅を突いて「〜な時点で発言の信憑性は低い」と本質的ではない些事を取り上げて信憑性を貶めることもできる。

その国の本来の民族を、隙があるものに関しては虐めなどによって落伍させ、隙がないものは女性の流行りとそれに追従する男どもという性質を利用した文化侵略などによって染め上げていくことが可能だ。
なんなら「〜人の彼氏は優しい」という情報を在国仮想敵国者の女にその国の人間のフリをささてまことしやかに語らせれば噂として蔓延し、仮想敵国の男性が自国のでの女性との不和もあってその国に流れてくる流れも作り出せば、血統的に侵略していくことも可能だ。
血統そのものはそれほどまでの問題ではないが、子供にとって親の思想や教育、スタンスの影響は絶大なので、親が仮想敵国を持ち上げその国を下げる態度をとっていれば子供はそれに洗脳されていくので、思想を菌略していくことができるのである。

暴力団などにも関与して歓楽街に潜り込み、その国の女性を風俗落ちさせるというメソッドの強化と実行に邁進するのも一つ成果の上がる破壊工作となるだろう。

とにかく集団の力があれば想像以上に多くのことが可能であり、それが国民の10%を占めていたりしたら、殆どなんでも思いのままだろう。

その「身内」だけがいい汁を吸う社会が出来上がっていれば、その「身内」として生まれるだけで成功が約束されるのだから、いやはやうまれというものは強烈で、生まれ力と呼びたくなるくじ運の良さであるといえるな。

その後の環境だって好ましいわけだから環境力もある。

力ばっかり!もう無敵やん!うはー最強やー。

まあほんとはそんな言葉はどうでもよくてね、ただそれでもここに書いたいくつかの事はもう実際に起こったことだからね。
携帯電話会社に入社した身内に支持して個人の通話履歴を盗んだりできるけですからね。
そうやって一部を明るみに出すことで「ちゃんと不正や問題は明るみに出て対処され世の中は回っている」と思わせることができる。

世の中なんて不正しかないのに、新規で「身内」じゃないものがみんなやってる不正(その不正をしないとその国では勝てない)をしたら途端に警察が動いて捕まるなど。
既得権益はいつだって強者であるからその発言は支持されやすく、支持されずとも支持されるように誘導したり見せかける強制力がある。
そして数千万単位で献金したり動員したりしまくって世の中を滅茶苦茶にしつつ私服を肥やすことができるんだから、笑いが止まらないだろうねぇ。

「身内」であることは学校や所属企業などには依らないので、医師や弁護士や警察やら探偵やら、いろんなところに入り込むことが可能で、そこから更に真実を報道しようとした記者を殺してね。そんなドラマみたいなって思うなら、現実なんだよなぁと。
実際記者の不審死とかありふれているのよ。
敢えて書かないけどいくつかの実際の事件を思い出しながら書いてるよ。
調べればすぐわかる。

調べなければわからないんだ。
向こうからやってくるタイプの押し付けがましいメディアはすべて身内、既得権益側についているからな。
そして認知閾を叩き落として無駄な困惑や思考をさせることだけを目的とした国会中継ショーやニュース風バラエティ番組の数々で国民を混乱に誘導する!
果ては若い子を繁華街に集わせる流行りを発生させて若い世代から性的に食い物にするまでしている。
そして既得権益の金持ちが立ちんぼを買っているからこそ、政府は真面目に対応しないし、一般に知られてから何年もほとんど放置されてきた。

誰も何も真面目にやるつもりがない。
いつも意図を持って流される情報で本当のところは覆い隠されて社会は公正で平和であると演出し、安心した愚者たちがうかうかと日常生活を送っているうちに(送らざるを得ない)益々社会を毀損、破壊していく。

この流れは止まらないし誰にもどうすることもできない。
その国の人口の10%にも登るだけの組織力を他にもっているところがないし、馬鹿正直に本当のところを暴露したりなんかしないからね。
あの手この手で見えない角度から社会を、そこに住まう人を、馬鹿にして、貶めることに余念がない。

社会は悪意でできている。
ただの集金装置が国を脅かすべきでは当然ないのだが…こんな状況になったのは、誰のせいなんだろうね?
誰かの差金かな?
誰の?
左かなぁ、右かなぁ、両方かなぁ。

どこまでがショーで、どこまでがほんとなの?
誰も本当の真実を知らない。

みたいなね。

で、
集団が結局全てを掻っ攫うので、個人の時代なんてもうとっくに終わってて、今から身内じゃない個人が報われることはないよ。
で、身内なのにあるいは雇われた役者なのに、身内じゃないふりして「私一般人だけどその限りじゃないです」って反証させときゃOKなんだから、やすいもんだよね。

宝くじにあたった身内を用意することで「当たる人ちゃんといるんだ」と一般人に思わせて宝くじという集金装置の一つを機能させ続けることに成功しているし、そんな感じでいろんなところから金を巻き上げるシステムが出来上がっているから、一般人たちがどうこうできる世界でもないし。

いやぁ集団力ってすごいね。
わたしもできればそっちに行きたかったけどねェ。

集団力 組織力 現実力 紹介力 工作力 生まれ力 環境力

わたしは「結局〜が全てである」という言い回しを大層気にいっており、まるでスナック菓子をついつい摘むかのように出癖でそれを使用してしまうから、この記事のタイトルも当初は「結局集団がすべてである」にしようかと思った、というのは半分嘘だ。嘘かい。すまない。読者の読解の途中ェー梯子を外すのがマイブームなのだ。そもそも読んでいる人いないと思うけど(スキ不信病)

いい加減スキの通知を切るかと画策しているのだが、まだそうしていなかったから、スキしたアカウントが工作スキ数持ちのコピペエセ陰謀論者であるか(そういアカウントが10個くらいあるんすよ、旦那)であるかどうかだけ興味本位で確認しに行ってしまうので、わたしが一個前にあるげた「自分の記事を読ませる為にスキしてるよね」という指摘が真だとしてその思惑通りに動いてしまっている癪があるってこんな風に一文をとにかく読みづらくながったらしく色々とゴテゴテと蛇足を付け加えて過剰装飾してしていくのはマイブームや手癖すら超えて最早そういう文体ならぬ生態である。
なるぬの使い方といい、最初のスナックの例えといい、微妙な「下等な」文章が続くって?
いやいやこれは文字列ですぜ旦那、文章なんてそんな、お高く泊まったもんじゃないんでやんすよ、ばかいっちゃいけねえ。

で。

前途の工作スキ数持ちエセ陰謀者にせよ真陰謀論者が語るところの集団ストーカーの実行実態としての某宗教団体にせよ今さっきスキしてきたポイ活アカウントにせよ、結局数の力が全てだよなぁと、感じる。

ポイ活で紹介者に500円とかもらえるとして、200人に紹介できたら5万貰えるし、懐かしのuberの一紹介2万とか3万とか貰えてた時代なら、10人紹介で20〜30万、100人紹介で、200〜300万貰えるわけですから、知り合いが多くて紹介力の強い人間は稼ぎやすい世界なんだなぁと。

なにもこれはそういうポイ活とか紹介得点だけに限った話ではない。

YouTuberを始めた時とか作曲にせよ漫画にせよ、動員協力を依頼できる知り合い、横のつながりがあればあるほどスタートダッシュが有利になるし、売上も立ちやすい。
500円の商品を友達10人が買ってくれたら5000円それだけで儲かるのだから、その商品の本来の人気が0でも金は得やすい。
それに10人が購入しましたとかそういう情報はどこの販売サイトで何を売っても最近は表示されたりするから、「まあまあ人気あるのんかしら」と赤の他人に誤認させる影響も発生する。
数字が0やら1やらのポット出の存在のハツ購入者やらになるのは勇気がいり抵抗があるが、10とか20とか、数字が少しでもついていたら「それなりにいいのかしら」と思わせる数字の魔力がある。

例えば数百万人の所属を誇る宗教団体が横の繋がりとその権力資金力で人気を作ろうと思えば、チャンネル登録者数100万人とかだって実現可能なのだし、「100万人登録されてるから人気なんだ!」と純粋な一般人を騙しやすくもある。
100万人動員したり、それ以下の数でスク数アカウント取得にとって工作するまでの大規模な行為は稀である可能性がまだあるが、1万人程度であれば日常的に行われていても不思議ではない。

件の工作スキ数持ちコピペエセ陰謀論者アカウントも、その投稿に300〜500程度のスキを工作でおしなべてつけておくことであたかも信憑性があるように演出することができる。

そもそもそういう横の繋がりや工作力がある状態というのは色々なことがうまく行きやすいんだ。
何か困ったことがあったら力になってもらえる可能性があるし外力によってしか解決が御難とされるような貧困の悪循環のような状態にも陥りづらい。

メディアや携帯通信会社などに入社する身内の人間の協力によって世論を操作することも容易だし、それをネットで主張しても「そんなことあるわけねーだろ」と「いち匿名アカウント」ないし「いち一般人アカウント」になりすまして反論して封殺することも容易だ。

そして身内である有名人アカウントに鶴の一声的にその反論を支持して貰えばいい。

このムーブをあらゆる業態、分野でやっていくとすると、見事にその「身内」しか勝ち上がれない工作された場を社会中に張り巡らせつつも、あたかも現実には適正で公正な審査があり自然な流れしかないとみせかけることが可能だ。

そうして社会には作られた流行りと偽物の人気が蔓延する。
これは成熟したシーンほどその餌食になっていく。

まだ黎明のシーンは目をつけられていないうちは自由市場であるのだが、それも目をつけられたが最後即座にその界隈を支配してしまうことが可能だろう。

これは日本人の「"みなさんそうしてますよ"についていく性質」名付けるなら「みんなと同じ病」とも呼ぼうか、その性質相手には非常に相性がいい方策であるといえる。

こういうことを主張するアカウントは異常者で一般常識が正しいという洗脳を強化すればするほどに人々は疑いの目を失います盲目的に与えられた人気と流行りを貪るだけのぼんやり口を開け涎を垂らすような阿呆の傀儡と化す。

もしその「身内」と政治家が繋がっていたら悪夢だ。
その流れは変えることはできないだろう。
そこに「仮想敵国」まで繋がっていると余計に厄介。
「民族に恨みを持つ在国静的侵略者」がおり、その国の者の名前を騙っていれば余計に「真実」の判別は不可能になっていく。

前途のように集団力があれば簡単に金を稼げるし金を稼ぐ手法の種類も豊富故、多業種に展開しやすく、内外から各業界をその組織力で牛耳ることができる。

ネットde有名人だけでなく、いやそういうものも含めて、現実の世界で強い横の繋がり、相互援助の恩恵に預かれる言うなれば現実力の強さは現実世界での人気や採用なども左右できる。

仮想敵国のにっくき民族をいじめによって自殺に追い込んだり不登校にしたり一人一人着々と脱落させてその人生を毀損しその生涯的な経済力や影響力を限定的なものに縮小させることができる。
それを子供たちにやらせるばかりか現場を受け持つ教師やその団体、政策を作る政治家とも談合して行えばより効率的だろう。
その国の文化や教育をゆっくりと着実に滅茶苦茶にしていくことができる。

そうしてそういう危機感を持った人間は全て「ネトウヨ」「統合失調症」だとしてしまえば「普通・正常・一般的であることに異常な執着を見せる日本人」の思想をそちらに誘導するのは容易い。
挙句は言葉尻、重箱の隅を突いて「〜な時点で発言の信憑性は低い」と本質的ではない些事を取り上げて信憑性を貶めることもできる。

その国の本来の民族を、隙があるものに関しては虐めなどによって落伍させ、隙がないものは女性の流行りとそれに追従する男どもという性質を利用した文化侵略などによって染め上げていくことが可能だ。
なんなら「〜人の彼氏は優しい」という情報を在国仮想敵国者の女にその国の人間のフリをささてまことしやかに語らせれば噂として蔓延し、仮想敵国の男性が自国のでの女性との不和もあってその国に流れてくる流れも作り出せば、血統的に侵略していくことも可能だ。
血統そのものはそれほどまでの問題ではないが、子供にとって親の思想や教育、スタンスの影響は絶大なので、親が仮想敵国を持ち上げその国を下げる態度をとっていれば子供はそれに洗脳されていくので、思想を菌略していくことができるのである。

暴力団などにも関与して歓楽街に潜り込み、その国の女性を風俗落ちさせるというメソッドの強化と実行に邁進するのも一つ成果の上がる破壊工作となるだろう。

とにかく集団の力があれば想像以上に多くのことが可能であり、それが国民の10%を占めていたりしたら、殆どなんでも思いのままだろう。

その「身内」だけがいい汁を吸う社会が出来上がっていれば、その「身内」として生まれるだけで成功が約束されるのだから、いやはやうまれというものは強烈で、生まれ力と呼びたくなるくじ運の良さであるといえるな。

その後の環境だって好ましいわけだから環境力もある。

力ばっかり!もう無敵やん!うはー最強やー。

まあほんとはそんな言葉はどうでもよくてね、ただそれでもここに書いたいくつかの事はもう実際に起こったことだからね。
携帯電話会社に入社した身内に支持して個人の通話履歴を盗んだりできるけですからね。
そうやって一部を明るみに出すことで「ちゃんと不正や問題は明るみに出て対処され世の中は回っている」と思わせることができる。

世の中なんて不正しかないのに、新規で「身内」じゃないものがみんなやってる不正(その不正をしないとその国では勝てない)をしたら途端に警察が動いて捕まるなど。
既得権益はいつだって強者であるからその発言は支持されやすく、支持されずとも支持されるように誘導したり見せかける強制力がある。
そして数千万単位で献金したり動員したりしまくって世の中を滅茶苦茶にしつつ私服を肥やすことができるんだから、笑いが止まらないだろうねぇ。

「身内」であることは学校や所属企業などには依らないので、医師や弁護士や警察やら探偵やら、いろんなところに入り込むことが可能で、そこから更に真実を報道しようとした記者を殺してね。そんなドラマみたいなって思うなら、現実なんだよなぁと。
実際記者の不審死とかありふれているのよ。
敢えて書かないけどいくつかの実際の事件を思い出しながら書いてるよ。
調べればすぐわかる。

調べなければわからないんだ。
向こうからやってくるタイプの押し付けがましいメディアはすべて身内、既得権益側についているからな。
そして認知閾を叩き落として無駄な困惑や思考をさせることだけを目的とした国会中継ショーやニュース風バラエティ番組の数々で国民を混乱に誘導する!
果ては若い子を繁華街に集わせる流行りを発生させて若い世代から性的に食い物にするまでしている。
そして既得権益の金持ちが立ちんぼを買っているからこそ、政府は真面目に対応しないし、一般に知られてから何年もほとんど放置されてきた。

誰も何も真面目にやるつもりがない。
いつも意図を持って流される情報で本当のところは覆い隠されて社会は公正で平和であると演出し、安心した愚者たちがうかうかと日常生活を送っているうちに(送らざるを得ない)益々社会を毀損、破壊していく。

この流れは止まらないし誰にもどうすることもできない。
その国の人口の10%にも登るだけの組織力を他にもっているところがないし、馬鹿正直に本当のところを暴露したりなんかしないからね。
あの手この手で見えない角度から社会を、そこに住まう人を、馬鹿にして、貶めることに余念がない。

社会は悪意でできている。
ただの集金装置が国を脅かすべきでは当然ないのだが…こんな状況になったのは、誰のせいなんだろうね?
誰かの差金かな?
誰の?
左かなぁ、右かなぁ、両方かなぁ。

どこまでがショーで、どこまでがほんとなの?
誰も本当の真実を知らない。

みたいなね。

で、
集団が結局全てを掻っ攫うので、個人の時代なんてもうとっくに終わってて、今から身内じゃない個人が報われることはないよ。
で、身内なのにあるいは雇われた役者なのに、身内じゃないふりして「私一般人だけどその限りじゃないです」って反証させときゃOKなんだから、やすいもんだよね。

宝くじにあたった身内を用意することで「当たる人ちゃんといるんだ」と一般人に思わせて宝くじという集金装置の一つを機能させ続けることに成功しているし、そんな感じでいろんなところから金を巻き上げるシステムが出来上がっているから、一般人たちがどうこうできる世界でもないし。

いやぁ集団力ってすごいね。
わたしもできればそっちに行きたかったけどねェ。

時間の無駄 考える意味 価値

時間の無駄をしてしまうのはなぜか。
暇になるからか。
暇をなくせば良いか。
そもそも時間の無駄はなぜ受け入れられないのか。
余裕がないのか。
時間の余裕がないのか。
心の余裕がないのか。
両方か。
時間の無駄をなぜしてしまうのか。
必要なことにすぐに取り掛からないからか。
取りかかれない理由があるのか。
あるのならば取り除けばよかろうが。
時間の無駄と感じるのは必要なことがあって、それに取り組んでいないという自分の認識が原因でないか。
必要なことを十分やったか。
十分とは何か。

例えばそれがお金を稼ぐことであるとして、いくら稼いだら十分か。
億か。
億稼いでも家を買って税金払って貯金して投資してとしていたらすぐになくなる。
手元にあるお金とか貯金というものは心許ないものだ。
物価が超長期的にはインフレしていく中で稼いだ金額の価値はそのままではどんどんと下がっていきそうだ。

例えばそれが人生目的の達成だとして。
叶えたら十分か。
一生叶わない可能性もある中で、その場合一生「欲しがりません勝つまでは」をやってその他のことを全て無駄と切り捨てるか。
そんなストイックさはいかにも成功しそうと妄想しそうになるが、時間をかけたから、根性でたくさんやったから、とうまくいくというのはレガシーな思考であり、なんら根拠はないのではないか。

それでも時間の無駄と感じることを肯定したいのであれば、「他に」、あるいは、「他に」、やりたいことがあるということか。

よくわからないな。
正直、あたまがはたらかない。
つかれたんだ。
すぐ同じ結論に帰結するように、同じ回線ばかり強化されている気がする。
これは老化が早そうだ。
明日さえ生きられる保証もないが。

疑問はいい。
事実を述べよう。
時間を無駄にした、と感じたのだ。
それを辞めたいと感じたのだ。
それは事実なのだ。
他にやりたいことがあるのだ。
やればいいことはわかっているのだ。
やっても無駄であろうとも感じているのだ。

そんなこといったら生きるのは無駄か。
生きることは無駄か。
そんな、「全てが空であり空しい」みたいな、やっぱり似たような帰結を辿るか。

何を書いても何を思っても何を考えても何をしても解決しない袋小路にいるとして、このまま延命を図る理由は何か。

「死なないために生きるだけなら誰でもできる」

と歌った歌詞に魅せられたことはあるが、死なないために生きることはそれほど下等なことか。
自然界を見れば生物は死なないために生きているのではないか。
死なないように立ち回るのは生物としての大前提ではないか。
人間の場合はそれは金策であったり、社会的関係の構築と維持であったり…。

何もしたくないのに生きることだけはするということはできないか。
何もしたくないか。
眠くてわけわからなくなってないか。
最近混乱が激しくないか。
甘えという考え方が嫌いとして、若者の中でそういう生の感情をそのまま汲み取るような曲がたびたびバズったとして、そういうときだけ便利に若者側についてないか。
だからなんだ。
全部意味わからんね.

noteというプロットフォームにお邪魔して、そこで新着通知などで半ば矯正的に他人の目に触れることによる他人の心情への悪影響まで配慮せず、好き勝手に過激な言葉をマシンガンしていることは、価値生産という気持ちの悪い四字熟語的観点からみると、「瑕疵生産」とさえ言えそうだ。

だからなんだ。

どれだけ素晴らしい人の素晴らしい言葉も常に誰かを傷つけている。
そういう、「価値」だとか、「良し悪し」というのは、一方的なものの見方でしかないのではないか。
自分にとって都合の悪いものは悪で都合のいいものは良い。
それが個人の心というものだから、それ自体はいいのだけれど、それを「「社会的規範」と自分が妄想している総体」に絡めて「自分の中の正しさ」で「感想という大前提」を超えて「真実として糾弾して自己満足すること」が正義か。
「自分が気持ちいいことが正義」ならば、なるほど確かにこの酷いインターネッツにはいくつもの正義が共存しているな。
かくいうわたしも正義であり、この記事は正義かもしれない。

オマエ=カギカッコ・オオイネン(1641〜1659)

そして日付が変わる。
当初の予定を未達のまま。
言い訳はある。
理由はある。
原因はある。
それを取り除けない理由というか、取り除こうとして無理でしたという結果はある。
他者に見えていない自分の事情について他者に理解を強要するのは我儘と呼ばれそうだ。或いはコミュニケーション下手。

自分の現実を思い通りにコントロールしようとすることはそんなに悪いことか。
ああでもないこうでもないとそれぞれの思想の用件全てをtrueにしたまま次に進もうとするのは大雑把な子供じみた姿勢ではないか。
何かをtrueにするならば何かをfalseにしなければならない、そういう世の中の当たり前が、なぜ世の中の多数に支持されてきているのかどこまで真面目に考えたことがあるか。
自分の中の正しさに酔って自分の感想だから突き進んで奈落に落ちて行こうとしている自分が例えそれが自業自得で自分で分け入った獣道でもも舗装され誘導された道であろうとも…

考えることに意味はあるか

それぞれの行動中にそれについてよくよく考えるとかそういう話ではなく

こんなことを考えることについて

意味とは何か

意味がないというのが容易過ぎて、意味についてよく考えないクセがついてないか

意味についてよく考える意味は何か

ここでいう意味は、必要性や価値に当たるものであるか
少なくとも言葉が示す内容などではないし

価値とは何か
役立つかどうか?
哲学では個人や社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質、真・善・美などであると、辞書サイトにはある

かつてMy定義したところによればまずそれは自分にとっての価値と他人にとっての価値に分けられるが、自分にとっての価値は
それをやってる時に自己満足できるかどうか
あとからそれや自分を誇りに思えるかどうか・自分がそれをやってよかったなと思えるかどうか
他人にとっての価値は人気によって決定されるものであるとは思うが、それは価値とは何かの答えではないだろう
じゃあ、「求められているかどうか」というものはどうだろう
或いは「好かれているかどうか」
需要とか、そういう常識の話値なっていきそうだ
常識の話がしたいのか?
まあそれはおいといて

少なくともこれらのMy定義で言っても、こういったことを考えたり書くことによる価値は、実行時の自己満足だけしか満たせないことがわかる

あとからこれらを誇りに思えるかは極めて微妙なところだ
即興作詞はまだしも
やってよかったなとは思わないのではないか

「おれはなぜあんな無駄な時間を──」といつもなっているのではないか

他人にとっての価値はないに等しいだろう
求められていないし、好かれてもいないのだから
狙ってもいないわけだし、狙ってそう言うことができるならば今頃noteでお金を稼げていただろうからできないということでもあるし、やろうともしていないのもtrueではあるが、どんどん逸れてくな

意図的に煙にまき、話を逸らす手法を好んで多用していたら、そういう文字列しか書けなくなってしまった
そりゃそうだ、学徒の頃みたいな、或いは文書を作成するような仕事の時のようなことを、このところ全然していない
あるのは自己の内面の押し付けがましい照射だけである
そこに一般的誉たる成長や健全がないことは知っていたしそれを良しとしていた
だからこそ今日まで誰でもわたしが触れられずにの話にされてきたのだろう
他人とてそれほど暇ではないのだから当然であるが

話が逸れ過ぎているな
そしてやっぱりまだnoteはやめられないようだな
趣味や中毒の類であることはわかっていたがここまで酷いとは自覚していなかった
やめようやめようと思いつつ、もう4時間近くこうしているし、気づけばもう寝る時間である

こんなことに意味はない、と言いたくなる理由は、それが「金を稼げない」の包含的言い換えであるのだろうという推測が、ピタリとはまりそうだ、と結論を書いて、終わりにしようか

結局は金である

世の中の価値は金だ
またややこしい勘違いを産みそうな流れで言葉を連ねているが、人生の値打ちは金だ、と言った方が適当かもしれない
そうしてそれが真であるからこそ世の中は不幸な人ばかりなのだと感じている
自分の認識範囲が平和だったか混沌であったかはそういう時の基本的な世の中への印象を強く決定づけていそうだ

今日はもう本当にダメだから
おやすみ
明日は始まらないけれど
それゆえに今日一連の発狂文字列を生成するに至っているのだけれど
それも仕方がない

問題解決と四文字で書くのは簡単で、如何にも論理的でスマートそうなその響きに魅せられるのは簡単だが、個々人の問題がそれほど他人に簡単に当て推量できるものであるとわたしは思わないし、解決できる問題しかないというか、凡ゆる問題が解決可能だと考えている時点で恵まれた人なんだなという印象を抱くのが正直なところだ。
解決が可能な人たちにとっての当たり前の解決に必要なツールやプロットフォームを、持っていない人がいると言うことを、彼らは認知すらしていなさそうである。
解決できない問題に苦しんでいるからそれを吐露することしかできることがないことについて、その想像力の領外にある「問題」を解決可能前提で問題解決などという言葉を使うのは、やはり世間知らずという言葉を贈りたくなるほどには、それはそれで自分の現実でしか生きていない証左だ。
もちろん、わたし!=せけんなので、わたしの問題を知らないからと言ってただちに世間知らずというのはただただ誇張表現というか、当て擦りに近いのだけれど、実際無知の知の意識が欠けているのではないか、とは指摘したいところである。

話を戻そう。
哲学的な意味での価値で登場した「真・善・美」に照らしてみても、このわうなことを考えることの意味はあまりなさそうだ。
強いて言えば自己認識上の真の探求にはなるし、それが本質というか、それが目的というか、それそのものなのかもしれないが、他者認識上の真と折り合うことを最初から放棄しているし、たして善でもなければ美でもない。

しっかし、こう言う時に無学を痛感する。
知っていることはただちにそれだけで偉いことではないとは思うが、これについて必要情報が欠けており、中途半端にちゃんと調べずにこの方向で妄想と感想を並べ立てていくのはマサカリが飛んでくる予感がある。
飛んできてもいいし、てゆうかそもそもどうせ絶対飛んでこない(あるとすれば知らないところで晒されるくらい)のだが、(そもそもこの下を読んでる人類、0人説)そう認識したところでなんとなく抵抗感があるのでよしておこう。
少なくとも、表意文字たる漢字文化の日本語上の一般的な意味で真善美という字面から受ける印象で言うと、善でも美でも無さそうである。

ふと米津玄師が「美しいものを作りたい」と言っていことと、他者の「これは芸術だからいいんだ的創作」を「しょうもない」と切り捨てていたことと、そう言うことをしていた身として反感的に「美しくないものを作ろう」と捻くれていったことを思い出す。それだけが原因ではないけれど。

言葉で美しさというと、真っ先に思いつくのは詩だ。
最近そう言うアカウントを見かけたからその人の記事とか、宮沢賢治なんかを想起する。
作詞だなんだ言っているが、美しさを探求してきてないから、私の歌詞は一切美しくないと思うし、直情的で直接的で身も蓋もないことをグロテスクにRAWで書き出す試みと表現するのが恐らくもっとも近いので、仕方ない。
美しくないものは好かれない。
これはルッキズムの話でも再三触れてきたが「それがどんなに受け入れ難くとも、現にそうなんだから受け入れよ」という話を思い出さざる得ないな。
好かれないものは金にならない。
当たり前のことだし、当然わかってはいたし、人気や金に中指を立ててここまでやってきたんだから、当然の帰結だ。
その結果が数時間前にあげたあのようなグログロな文字列なのだから、まったく、我ながら気色悪いモンスターを産んでしまったなと思う。
まあこちらから言わせて貰えば色々と「仕方がなかった」んだが、他社からしたらそんなことはしらねーよという一蹴要素であるしな。

さて。
そんなこんなでこのようなことを考えることの意味、つまるところ価値は、ほとんどない。
自分の認識上の真を探求したところで、幸せにはなれないし、何も変わらないし、腹も膨れない。
幸せになったり、何か変えたり、腹を膨らます必要があるかというそもそも論的疑問をまた手癖で自動生成して差し込めば、肯定することは可能そうであるが、そこら辺に結論をちゃんと弾き出さずになあなあにしたがる性分が、わたしを何度もこういうことを書くことに時間を使うことに誘っている迷いの本質であるのだろう。

わたしはそろそろ再び、自分を否定しないといけないのかもしれない。

かつては兄や姉や父や学校や町の人々からの仕打ちによって植え付けられた自己嫌悪と極めて低い自己肯定感が問題となっていたが、今となってはそれを克服するために養殖した自己肯定感が実利的な行為の足を引っ張るに至っている。
それが捨てるべきものなのか、まだ迷いがあるのは、わたしが冷徹なビジネスマンではないなによりもの証拠だ。

冷徹なビジネスマンが羨ましい。
他人を簡単に否定して持論を正論に昇華し他者を説得するプロだ。
使えないものを押し付けることさえできる薄情なクズであると言うこともできるし、性根逞しく実利を追求してるリアリストであると評価することもできそうだが、わたしは決してそうはなれないだろうと言う予感が十何年も前からあり、それ故にわたしが大金を稼ぐことは将来的に難しそうだ。

人をおとしめることを何とも思わない詐欺師にならなければこの国で勝つことは難しい。

などと言ってこの記事を閉めようか。
結局0:55だし。やっぱり時間の無駄だね。
実利性が皆無だ。
これをきっと冷徹なビジネスマンは「そんな基本的なことにやっと気付いたのか」と鼻で笑い小馬鹿にしそうだから断っておくが、知ってはいたんだ、ずっと。
ビジネスマンじゃないから、趣味やろうだから、米津玄師がしょうもないと吐き捨てる対象だろうタイプだから、それを好き好んでやってきただけで。
でもそれももうおしまい。
なんてったって2023が終わるのだもの。
わたしもそろそろ、自分というものにメスを入れていかなければならない。
自分の巣の中で好き勝手捲し立てて自己満足と自分の中の正しさに酔っている「子供じみた」行いは卒業しよう。
そう感じている自分はずっといたが、今まで発言権を奪われてきていた。
それが今になって政権交代である。
冷徹なビジネスマンなら「やっと気付いたか」「大人になったんやね」「それが成長だよ」と言いそう。絶対言わない。あいつらムカつくな。なおこの冷徹なビジネスマンはわたしの妄想上の存在でありわたしの頭の中にしか存在しない上地その存在もかなりもやがかかっており形がところどころ怪しい。もちろんモデルとない人物像や体験というのはありそこから組み立てられた印象的存在というか人間観察結果なのだけれど、いかんせん実在存在ではないので、やはりこれにも意味がない。
意味がないことを愛し過ぎた。
その結果に対して今更文句を言うのはフェアじゃない。
自分が選んだルートなのだから、それについては責任を持つ。

冷徹なビジネスマンはそれはもう他人事にわたしに死んで欲しかろうが、わたしにとってはわたしは他人事はいかないので死ぬわけにはいかないんだ。
こんなボロカスゴミくそ状態でもうどうしようもないダメになった不毛の大地みたいな自分でも何とか生きていかなくちゃならないんだから、人生とは交換不能後戻り不能一発勝負のクソゲーだ。
わたしは今までのわたしを卒業する。
これに名前をつけることを好ましく思わない自分ごと卒業できるかは未知数だが、そう言うことも必要になってくるのかもしれないな。

サヨナラ無駄なこと