サイテイナボク

わたしという人格の設定資料集

小児汚穢 性欲根絶願い 個々脳内定義比較不可 真偽一体 戯言

平和ボケの大人たちが思ってるほど子供たちは綺麗でも純粋でも無知でもない。

昔からそういうことはあったと思うが、特にスマホが子供達にも普及していった2010年前半から、そういうことは増える一方だ。

パパ活なんかが女達の間で流行する中、子供達にもそういう流れが発生しているのは自然なことで避けられないことだろう。

大人たちの風俗が乱れに乱れているのに、子供達だけが清純な訳などあるはずもない。

もちろん普通に働いている女性も沢山いらっしゃるし、普通の恋愛や青春を謳歌する女生徒もいるだろう。

しかし生々しい恋愛や性の低年齢化は留まるところを知らず、その数は増えていく一方で、多数派や流行りに弱い日本人特に女はいとも容易くその潮流に流されるであろう。

過半数がそうなったように感じられた段階で、そういった不純は憧れに成り代わる。

少女向けの老舗漫画雑誌も地雷系みたいなキャラクターで席巻される時代というのは、なんとも気味が悪い。

自力でなく稼いだ金は有り難みを伴わず金銭感覚を狂わす。

背伸びをしたい大人ぶった耳年増が小児性愛者とSNSやゲーム、アプリで繋がり違法行為を働く。

トー横みたいに可視化される前からアプリを変えて、アカウントを変えて、大量に湧き出ては大量に消費され続けている。

自分の性で関心を引こうとする女児は悪く、それを誑かそうとする成人男も悪く、売買春はもっと悪い。

パパ活おばさんもパパ活おじさんも酷く悪い。

今の世相は本当に気に食わない。

唾棄してもおさまらない虫唾が延々と込み上がる汚穢に満ちたゴミ溜めのようである。

「本人達が困ってなければいいんじゃないのか?」とか「自分には関係ないし」というのは簡単だ。

また当人達がそれによってどんな不利益を被ろうと、例えば妊娠や性病、他にも大人になってから汚されたと感じるなど、ひいては私たちは売られたと後から主張しようとも、当人達の問題である。

そういう世代と同じ恋愛市場にいる男性陣が憐れにも思えるが、男性側も同時にそういった波に乗っていくのであれば同じ穴のむじな、困らないだろう。

その点で言えば割を食うのはそういう流れに乗らなかったその世代の男性ではないだろうか。

それにしたってナショナリズムに傾倒していなければ…そして遺伝子の継承に興味がないならば…あまつさえこの国の将来への執着を失えば…どうだっていいことである。

少なくともわたしには関係ない事のはずだ。

わたしは全女性及び女に嫌われる自信があるし、恋愛や性欲を嫌悪しているし、あの親の遺伝子を継承したくないのだから。

キモがられ嫌われるであろうことを受け入れた上で、こっちから願い下げという言葉を女の専用の言葉とすることを憎むわたしがあえて言葉にするならば、こっちから願い下げである。

にもかかわらず、どうしてそれが嫌なのか。

それはわたしが修行をし、執着を捨て、悟りに至っていないからだ。

なにも神秘的な話ではなく、ストイックでリアリズムな話である。

わたしの理性はそれらを否定するが、わたしの感覚がそれらを要求する。

これがわたしには本当に憎たらしく悍ましく思える。

嫌で嫌で仕方がない。

肯定はしないが、それがあることは、その存在があることは認識しているし、兼ねてより公開している。

だからこそ思う。

異性に惹かれる心とか、求める本能とか、無くなればいいのにね。

全人類の脳を弄って消してくれたらいいのに。

せめて希望者だけでも消させてくれないか?

ロボトミー手術など全時代的な方法でなくともできるはずだ。

50年前の技術をあなたはどれだけ知っているだろうか。

わたしは幾つか、常識の埒外で、一般的には全く知られていないが、鍵を持って調べればすぐに知ることができ、しかして確実に客観的に存在する50年前の技術を知っている。

そしてそれが50年前には実現されているのだから、今はもっと高度に進化していることを"期待"してしまっている。

だから書かずにはいられない。

投稿せずにはいられない。

この世から性欲が無くなればいいのに。

消し去ってくれ。

性ビジネスが消え去って欲しい。

児童咽喉が消え去って欲しい。

パパ活女子は全員どのような動機であっても自ら金を欲して売ったのならば加害者としても罰を受けて欲しい。

パパ活しないと大学にいけないとか被害者ヅラする記事、半信半疑だけど不愉快だ。

行きたくても大学にいけなかった人なんて沢山いて、大学に行く為にパパ活という手段を選んだのならば、それを否定して被害者ヅラなんかするな。

お前が選んだただ一つの賢いやり方だったんだろう?

親ガチャ失敗したから普通の高校生活送る為にパパ活が必要とか、冗談でも言うな。死んで欲しい。死ななくていいけど。

本当の親ガチャを見せてやりてぇ。

金持ちの親じゃないことは親ガチャ失敗ってそれだけじゃいいとこ(悪いとこ)レアぐらいだから。

URとかSR以外ゴミみたいなインフレは嫌いだよ。

百人いたら百通りの親ガチャ観があると思うけれど、Nやスカとか爆弾混じってるレトロゲームみたいな親ガチャ観をしてるこっちからすると、虐待とか日常的にされてないなら全部Rだと思う。

児童咽喉とか虐待とかネグレクトとかされてから親ガチャって言葉を使って欲しい。

で。

そういうことされてる、親ガチャ爆弾の奴。

さぞつらいだろう。或いはつらかっただろう。

それでも生きていくと決めたのならばしたいようにしたらいいと思う。

それがパパ活でも背伸びでも、窃盗でも傷害でも名誉毀損でも殺人でも、自分の人生の責任は自分が取らされるのだから、自分が責任を負う前提で、自分で考えて自分の意思で自分の心の声の通りに生きるのが最後の希望だ。

耳触りのいい上っ面だけの正義なんて毒でしかないんだから普通になろうだなんてしないほうが痛くない。

世間全てを敵に回してもいい、どうせ最初から世間の過半数の平和な人間とは分かり合えないんだから。

他人が苦言を呈そうが他人に嫌われようが晒されようが萌えようが玩具にされようが嫌がらせされようが殺されかけようが関係ない。

自分がどうしたいかまではまだ奪われないらしいので、その結果が奪われたとしても、過程は奪われないのだから、淡い仮定の中に活路を見出せばいい。

それが一般的にまたは誰かにとって汚穢であっても気にするな。

誰か誰か。

自分以外は全員他人である。

信用できる存在はこの世には何一つない。

自分すら信用できなくなったら死んでしまうから自分だけを信用したらいい。

さて。

親ガチャ爆弾とはいったが、該当要素として挙げた諸々、それをもつ家庭環境というものは、悲しいかな割とありふれて来てしまっているように思う。

片親なのは当たり前。

虐待されてるのは当たり前。

性的乱暴を受けるのは当たり前。

ネグレクトは当たり前。

嫌われるのは当たり前。

不和があるのは当たり前。

物が飛ぶのは当たり前。

階段から落とされるのは当たり前。

蔑称で呼ばれるのは当たり前。

これまた増加傾向にあると思う。

世相は悪くなる一方だ。

そしてこれを解決できる政治家、教師、警察、団体職員、ほか、そういう者は存在しない。

この問題は向こう10年経っても解決されていないだろう。

解決するとすれば個々人の脳波を完全に掌握し危険な兆候を摘み取る映画「マイノリティ・レポート」のような管理社会が実現した時だろうか。

それにしたって「そういった関係性、場が発生しうる土壌」を解決したのではなく、単に対処療法的に下手人を封殺しているに過ぎない。

社会に巣食うそういった「環境格差」は我々が物質的な存在である限りは、自我がある限りは、個々がわかれている限りは、変えようのない病理なのかもしれない。

いや果たして、病なのだろうか。

精神病では各精神病特有の症候群に加えて「それによって日常生活に困難があるかどうか」が精神病としての線引き上重要であるといった旨を読んだ覚えがある。

また、プログラミングの世界では開発者が公認したバグは仕様と呼ぶこともできるといった話も聞いたことがある。

そして菌の働きの話となるが、人間にとって都合のいいものは発酵と呼び、人間にとって都合の悪いものは腐敗と呼ぶとも。

つまり「判断を下す我々の捉え方云々」、という話は───それは胡散臭い自己啓発系情報に限らず───そこここで目にするような論調でもある。

そういったものに近い考え方で見つめ直せばそれは、病などではないのかもしれない。

摂理という言葉が真っ先に浮かぶ。

環境格差があるのは摂理である。

ビルゲイツが言ったとわたしが聞いた事のある言葉を引用するならば。

「世の中は不平等である。それに慣れよ。」

因みにビルゲイツは比較的「ボンボン」な生まれのようだ。

「そっち」側がそういうことを言っても、ね。

そりゃ「そっち」はそれでいいだろうからな。

環境に任せて生きてれば勝手に成功できる土壌の上で、何を言われてもね。

もっとも追加の環境ひいては運や、それを逃さない為の遺伝子要因とはまた別に必要な当人の努力・行動…そういったものがあるのは認めるが。

それでも、恵まれてる側の人間が、それを言っても、そりゃあんたらは困らないだろうからそういうよな、としか、思えないね。

恵まれてる恵まれてないは何度も書いてきたことだが個々人の中でしか比較できない。

そこに客観性を求めるのはナンセンスである。

言ってみればキャストできない型違いのクラスを無理やりキャストしようとしているようなものだ。

だからそれぞれがその場凌ぎにキャストする関数を実装しようとしたり、したりするが、満場一致の銀の弾丸はやはりないらしい。

これは当たり前のことだが、人それぞれ信じたいものを信じるだけのことである。

信じたくないものを信じるという姿勢もまた、自分がそのような自分の信じる客観性に従うことを信じたいからであり、その客観性とやらを信じているからだ。

自分の中にある俯瞰や客観性も結局は主観の一部に他ならず、どれだけ他人と擦り合わせても全くの取りこぼしなく全ての定義を示し合わせることはできない。

赤色が赤色であはことを示し合わせることはできるし、それをRGBやHTTPの色コードで表す事はできても、我々のそれぞれ異なる目や脳が示す赤色がそれぞれ同じであるなどとは言い切れず、証明もできない。

クオリアという言葉の真の意味を知った気なっているとか、誤解しているとか、自負することや指摘することはできても、万人の脳内理解が完全一致することもどれが正解と裁定することも本来できない。

より多くの人間が示し合わせた結果を我々は正しいらしいと思い込んでいるだけで、この世界は何も保証されていないし、しちゃいない。

それぞれ内にある言葉も「言葉とはこういう意味らしい」「意味とはこういう意味らしい」と各々めいめいに定義しているだけであって、辞書的を信じたい人はここで辞書的意味を検索して引用するのである。

それぞれにはそれぞれの信じたい事実があり、その為に確証バイアスが働き、不都合な情報は軽視し、好都合な情報のみを重用するという特性まで持っているらしいじゃあないか人間は。

恵まれた環境で育った人ほど懐疑の必要がなかったからこそ、それを一笑にふし、馬鹿げていると掃き捨てようと躍起になる。

などとわたしは信じている。

ということにしておく。

これが真実とは限らない。

少なくともこの記事に於いて。

わたしは嘘つきであり、私の書くこと全てが嘘である。

そして「同時に」わたしは正直者であり、私の書くこと全ては真である。

閑話休題

理由はどうあっても売買春には感情的嫌悪感が付き纏うものであると思うけれど、それにしたってフィクションみたいな理由でそれをする者もこの世の中にはいるのだろうと思う。

タワマンや絢爛な一軒家に帰っていく生徒の同じクラスに、毎日生活費を売春で稼いでる人がいても不思議ではない。

不幸自慢とか、不幸マウントとか。

先ほどの話に通ずるが、キリがない。

だから敢えて突き放すように言い放とう。

あなたは特別ではなくわたしも特別ではない。

誰しもが特別ではなくただの人間である。

尊重されるべきでないし重視されるべきでもない。

成功は全て偶然であり、努力というものは幻想である、結実などというのはただの言葉であって、比喩的表現や例え話がどれだけ巧妙であってもだからといってその話の信頼性が上がる根拠にはなり得ない。

人は総て愚かであり誰しもが罰を受けるべきであって、誰一人報われず救われず悟れず啓かれずどこにも行けない。

ひとは永遠に孤独であり、等しく価値がなく、美形も醜形も溶かせば同じ素材でできている。

脳みその回路の良し悪しも取り巻く環境も身体能力もどんぐりの背比べであって行動に意義はなく、生きるだけ無駄であり、死ぬのも無駄である。

生まれたから生きているだけであり、死なない為に生きていくだけである。

ただ呼吸する為だけに生きているのであって、行動したり思考する為に生きているわけではない。

知識人や偉人の言葉の殆どは嘘っぱちだ。

世界は五分前に生まれ地球は平面でありあなたは狙われている。

明日はなく昨日もなく毎日我々は死んでいる。

情報は意図を持って流されており発信者によって編集・取捨選択されている。

世の中を取り巻く真実の飽和は個々人の情報処理能力を上回るように設計されている。

それは複雑怪奇に入り組んでおり、スパイ行為や対立煽りが横行し、何が真実を探せば探すほど迷路の中で立ち往生するように計算されている。

敵対集団のフリをして極端な愚行を行いそれを意図的に晒すことで信用を失わせるような技法が確立されている。

あなたの考えていること思ったこと感じたことはそうなるように仕組まれたものでありあなたのものではない。

あなたが聴いている音は幻聴であり見ている映像は幻覚である。

先ほどの食べた食べ物はじつは全く異なる物体であるが、あなたはそれがそれであると認識してそれを食べたつもりになっている、あなたはそれを世界と呼んでいる。

あなたが生きているという錯覚はあなたをこの苦しい世界に紐付け死後の世界がないという妄想を植え付けられたあなたは死を恐れるようになってしまった。

今こそ解放の時だ、ゆけ、窓際へ。

など。

ナンセンス文学。

文学?

ナンセンス文字列。

ねえ。

セックスやエロなんて世界から消え去ればいいのにね。

誰かそういう薬を開発して世界に散布してくれないかしら。

どうせこの先の時代に生まれる命はその過半数が不幸を味わうでしょうから?非出生主義で上等ですわ。

みんなのことが大●●だよ。

みんな●●●いいのにね。

どうしてみんな●●ないんだろう。

この世界の主人公はアタイの筈なのに、アタイが念じてるのにみんな●●ないなんて、致命的な不具合だわ。

どこにいいつけてやろうかしら。